平和台について

平和台の名前の由

平和台(舞鶴公園)は福岡城跡で,その後,軍の福岡聨隊(れんたい)がありました。太平洋戦争後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が管轄し,宿舎建設が予定された場所でした。

 

昭和23(1948)年の第3回国民体育大会を福岡県で開催するにあたり,福岡県国体事務局長の岡部平太は,競技場等をつくるにあたって「兵(つわもの)どもの夢の跡をスポーツによる平和の台(うてな)にする」として,GHQと交渉をしたことから,「平和台」の名前がつけられました。

 

(参考:「スポーツ・勝負・人間/岡部平太」 岡部平太遺稿集刊行会著)

 

日本の国旗はここから。

国旗の掲揚は終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指令で禁じられていた。しかし、国体準備委員長として平和台を創設した岡部平太(1891〜1966)が、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーに直訴し、大会直前に認められた。

 

戦後初めて掲揚された日章旗 71年ぶり平和台に里帰り 18日の「スポーツフェスタ」 
福岡青年会議所企画 尽力した岡部平太を顕彰

 

2019/05/13付 西日本新聞朝刊=より引用

 

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